|
feature articles 〜特集のページ〜
住まいにひとこと
こんなモノが欲しい!
Q&A
HOME
|
|
[メニューへ戻る]
No.014 靴脱ぎと穢れ
----私の「住まいの思想」(1)
(05/28,1999) 松本茂
ご意見はこちら
|
「住まい」に拘り続けてきました。いま、日本の崩壊の始まりを見せつけられるに及んで、この拘りはますます強くなっています。
崩壊発生の真因が日本人の「生き方」の嘘にあることが明らかになりましたが、それは「暮らし方」、「住まい方」の虚構の姿にはっきりと顕れています。建築・インテリアという手法で、さまざまな住まい手たちやそれの取り巻く職能人・職人、それに企業家に接してきた日々を思い返す時、なんとしてもこの嘘を暴き出しておかねばという思いに駆られてしまいます。その思いを足掛かりにこの稿を書き始めることとします。
◎透明なアニミズム
住まいつくりに必ず登場するのが八百万の「神さま」です。打合せの段階から完工した後まで、各種取り混ぜてすらすらと出現します。ついにはリビングルームに神棚設置となるわけです。日常では忘れていたような神さまや精霊たちが、家つくりという一大事になると、われもわれもと立ち現れます。
日本人は宗教心の薄い「国民」だ、無宗教の人がほとんどだと思わされていますが、どうしてなかなかの「信心家」です。しかも、これが困りものなのは、本当の信心家ではなくて、世の中右へ倣え式で、世間体からこのくらいはやっておかねばという、恐怖心に発していることです。
井戸を埋める、池を埋める、なにか祟りがあるのでは、水の神様が窒息するのでは、まわりから後ろ指差されるのでは、やっぱり神様の係りをお呼びしてひと通りのことをやっておこう、となるのです。
こういうのも立派な「宗教心」ではないのでしょうか。仏教とかキリスト教といった教義はないのかも知れませんが、いささかの体系をもった宗教、組織化されたアニミズムでしょう。「神道」は精緻にそして全国つづうらうらに行き渡っています。クリスチャンを標榜するお施主さんも、神主を呼んで地鎮祭をしました。「宗教ではなくて習俗なのよ」と最高裁のような心情なのかも知れません。
習俗の姿になって日本人の暮らしに忍び込んでいるアニミズムは、地場で誕生した精霊信仰やら中国や朝鮮産の進んだ秘教・呪術などが渾然一体になっているようです。
「宗教心」が薄いどころか、日常のすべてを絡め取られているように思えてなりません。廊下で履いていたスリッパは便所で履き替える。家の外で使った靴は玄関でスリッパに履き替える。便所は不浄、外は不浄、どんな不浄、不吉なものが取り付いているか分からない、といった習俗なのでしょう。
「なぜ靴を脱ぐの?」「だって汚いでしょう」「靴の底をきれいに拭いたら?」「でも、汚いわ……」というわけです。お洒落なインテリアをご希望のクライアントが、靴下裸足であるいはスリッパでお洒落なインテリアをどう使うのでしょうか。余計なお世話、私の信仰心を邪魔しないで、となってしまうのです。
お洒落なインテリアはいざ知らず、普通の日本人の普通の家、高度成長にも、バブルにも置いてけぼりを食らった住まい、住専やら銀行やらデベロッパー・住宅企業に食い荒らされた住まい、惨澹たる一時凌ぎの応急住宅、兎小屋と冷笑された「日本人の住まい」、ボキャ貧首相に「生活空間倍増計画」などと思い付かせた悲しい住まい、これらのすべては住まい手自身の「宗教心」がもたらしたものではないでしょうか。私たちがずっぽり漬かっている「無宗教と思わされている堅固な宗教心」、まさに心の嘘が住まいの惨状を招いたのではないでしょうか。
◎自ら生活空間を律することができるか
まもなく2000年紀を迎えようとするいま、過去百年、明治政府の確立とともに始まった人民の国家隷属と敗戦後55年の「象徴民主主義」国体の下での住まいの衰退を考えるとき、アニミズムの組織的培養によって「宗教」を排除していった政策を検証しなければなりません。
「国体の護持」だけを条件に300万人の忠勇兵士の命を捨てた敗戦は、明治政府がつくりあげた神道国家を延命させることになりました。アニミズムをアイデンティティーとする国家が選択した新たな目標は「経済大国」となります。一億一心の魔術を掛けられた臣民たちの暮らしを踏みにじり、生産に駆り立てた結果が「国家システムの崩壊」に至ってしまったのです。
どうしてこんな馬鹿なことになってしまったのでしょう。20世紀の国家は先進国であれ途上国であれ、共和制であれ君主制であれ、「神話」という虚構を「護持」している国はありません。アマテラス天皇制は「象徴」なる虚像に姿をやつしていますが、宗教であることからは逃れられません。忠魂碑裁判・靖国裁判・地鎮祭裁判など多くの提訴は最高裁という国家護持機関で門前払いや、逆転判決で逃げ切ってみせますが、「神話」の衣は隠せません。
神話とアニミズムの網の目は宗教をはぎ取り、「信じる」ことによる人の自立を反国家性を持つ危険なものとしています。オウム事件は格好の学習機会となり、「信じる子たち」の親は世間様に顔向けできない反社会的家族の烙印をおされているようです。仏教でもキリスト教でもイスラム教でも、何であれ熱心な帰依者はなんとなく困った存在、時によると要注意人物、いずれにしてもマイノリティー、「無宗教」と思わされている神道信者「良民」こそが圧倒的なマジョリティーなのです。そしてこの「良民」たちが消化していく「習俗」が暮らしを混濁させ、住まいを最低のグローバルスタンダードにさえ近付かせないのです。
「靴脱ぎ」というアニミズムが示す大地の穢れ信心から脱けだし、外も内も「穢れや虞れ」なき自らで律することのできる生活空間であり、社会的共存の基底であるという思想を回復することが住まい復権の出発点だと考えます。いささか大仰な話のようにも聞こえますが、靴脱ぎと床座という東アジアの習俗がはらんでいる宗教性を解明しなければ住まいの復権はあり得ないと信じます。■
*『工房だより』(印刷版)1998年11月号より転載。
http://www.sh.rim.or.jp/~onn/index.html
|
ご意見はこちら
| 松本茂(まつもと・しげる) |
■プロフィール
1935年生まれ、小田原市在住。建築士。「生活美学社」主宰、自称「住環境ファシリテーター」。日本人が元気で繁盛する住まいを持つまで戦い続ける。
E-mail:smat@pat-net.ne.jp
|
|