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No.015 「ごろごろ」することと生活者の屈服
----私の「住まいの思想」(2)
(05/29,1999) 松本茂
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◎「三跪九叩頭」
1793年、英国の全権使節マカートニーが、清国の乾隆帝との会見儀礼に求められた「三跪九叩頭(さんききゅうこうとう)」に対し、kneel downの姿勢のみであったことが障害となり、永く外交交渉が頓挫したとのことです。大アジア君主国皇帝の神性と、ジェントルマンの矜恃が折り合わなかったのでしょうが、その後、世界に冠たる中華帝国もアヘン戦争を経て、1842年の南京条約によって英国を初めとする西欧列強の支配下にはいるわけです。
ヴェルサイユ宮美術館に、ジャンレオン・ジェロームの「フォンテーヌブロー宮にシャムの外交使節を迎えるナポレオン3世」という横幅2.6mの大作が収蔵されています。1861年の、シャム王国(タイ)とフランス帝国の通商条約締結の使節団の接見の光景ですが、ここにはシャム側の「三跪九叩頭」の光景が描き出されています。西欧帝国主義へのアジアの屈服が、アジア的儀礼を逆手に取ってフランス皇帝の栄光を示す政治画をつくらせたのでしょう。
◎くつろぎ志向で住まいは寝室化する
両膝を折って跪(ひざまず)くという動作は頭を下げて屈服する、あるいは謝罪する、懇願するということにつながります。英国人であるマカートニーが選んだ片膝を折る kneel downは、あくまでも相手に敬意を表す姿勢であって、屈辱や屈服ではない作法です。
二重橋の前で土下座した臣民、渋谷の歩道にベッタリとしゃがみ込んでいる若者、これらの情景からは、「三跪九叩頭」につながる屈服の精神が見えてきます。屈服のライフスタイルは、労働の場でも教育の場でもあるいは個人の暮らしの中にもしっかり根をはっています。
個人の暮らしでは、和室、畳床という伝統様式とは関係なく、床にベッタリ、ゴロゴロと「くつろぐ」ことを求めているようですが、この「くつろぐ」志向が大きな問題を含んでいるように思います。住まいは「くつろぐ」ところ、何のためらいもなくこう考えている人が多いようですが、かなり違うのではないでしょうか。「くつろぐ」志向は住まいの「寝室化」、住まいの「密室化」を受容しています。
くつろぐ→ゴロゴロ→床座→寝室化という図式が、住まいを孤立させ、寝たきりの住まいを生み出しているのです。外の暮らしは立ち座、椅子座でも、一歩我が家に入ると「くつろぐ」ための床座を選び、苦行の外の暮らしを脱ぎ捨て、住まいの中でゴロゴロ暮らしの快楽に浸るのでしょうか。
◎人が立ち上がるとき、暮らしが立ち上がる
椅子座が生んだ kneel downの儀礼と、「三跪九叩頭」儀礼の格差の背景には、床座の暮らしがあります。選挙民に土下座して投票を懇願する候補者が、座敷で手を付いて頭を下げても、それは当たり前のこと、普通の作法なのです。床座で「三跪九叩頭」することは特別のことではありません。選挙民が「下足」を履いている椅子座の公民館とかホテルの「土間」とか、あるいは街頭で土下座して懇願するというパフォーマンスがうけるのだそうです。
跪いて暮らすための靴脱ぎと、床座というスタイルがたくましく生き残っている限り、生活者の屈服はいつまでも継続し、日本人の住まいに尊厳が回復することは困難でしょう。人間が立ち上がる、暮らしが立ち上がることなしには、住まいが立ち上がることはないと確信します。■
*『工房だより』(印刷版)1999年1月号より転載
http://www.sh.rim.or.jp/~onn/index.html
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| 松本茂(まつもと・しげる) |
■プロフィール
1935年生まれ、小田原市在住。建築士。「生活美学社」主宰、自称「住環境ファシリテーター」。日本人が元気で繁盛する住まいを持つまで戦い続ける。
E-mail:smat@pat-net.ne.jp
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