★HABITAT:住まいにひとこと:ホームレスの建築文化★

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No.036 ホームレスの建築文化(09/22,1999) 津村喬

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 不況でホームレスが増加している。みじめに見える段ボールやビニルシートでできた彼らの住まいだが、そこにも住む人の個性や誇りは表現されている。住宅ローンを背負っての会社勤めも人生なら、持ち運び可能な「家」を背負って街を転々とするのもまた人生である。

 以前カリフォルニアのバークレーで、ホームレスの人々への炊き出しをしている公園風景を見た当時中学生の息子が、「ホームレス体験アメリカツァーってのもいいなあ」などと言っていたことがある。「神戸駅にもまだホームレスはいるから少し加わって勉強してきたらどうだ」と勧めたがそこまでの気持ちはなかったらしい。学校に行くよりはずっと勉強になりそうな気もするが。

 長期の不況でホームレスが激増しているという(一番の原因は建築不況と言われている)。それも以前の田舎から出稼ぎの人が仕事にあぶれてというケースだけでなく、倒産した会社社長やリストラされたサラリーマンが背広姿のまま段ボールの上に寝ている例も出てきたという。東京の場合、新宿区役所などの炊き出しに頼っていれば最低限生きていくことはできる。社会のペースに合わせて仕事をすることからあえて脱落して、自分のリズムで生きてみたいということかも知れない。

 その意味ではこの現象は、閉関(仏教用語で玄関を閉じて誰にも会わず自分を見つめること)あるいは隠遁、引きこもりの場といってもよいのだろう。避難所といってもよい。そしてその空間は一見排他的に見えて、誰にでも開かれた、やさしい場であるらしい(中村智志「段ボールハウスで見る夢─新宿ホームレス物語」草思社)。

 しかしいったん「そこ」に入ってしまうと、なかなか戻ることが難しい。かりに仕事をする意欲が湧いてきても、まともに雇ってくれるところはほとんどない。そんな人々を超低賃金で重労働をさせたり、サラ金の名義に使おうとしたりで、問題がおきてすぐやめてしまう場合が多い。また、多少金が入ってもアルコールに使ってしまうという例もあり、もともと自立できるまでの自己管理ができるほどなら、こんなふうにならないという場合が多い。

 冬はアスファルトとコンクリートがしんしんと冷たく、風も吹き込み、公共の施設に冬場だけでも入りたい気持ちが当然ある。大阪市役所前では3月初めから座り込んで抗議のテント生活をしているホームレスたちがいて、中之島界隈の風景になっている。これは釜が崎の宿泊施設の夜間解放を二月でうち切ったことへの抗議だ(大阪市内のホームレスは約1万人といわれる)。

 ブラジル、サンパウロ総合大学の建築学者が来日して、新宿や山谷で二ヶ月過ごして、ホームレスの住まいの研究をしたという記事「路上の住まい/工夫拝見」が、3月5日付『日本経済新聞』の文化欄に載っていた。

 「ホームレスの人々は実に様々な素材を巧みに利用している。段ボールや布、スーパーマーケットの手押しかご、捨てられた家具や企業などから出る大量の紙。ブラジルのある地域には、空き缶に取っ手をつけてカップにするなど、廃品をリサイクルする工芸文化が根づいている。ホームレスの人々も即席の家を造るだけでなく、花を飾ったり、木ぎれでギターを作って大都会の真ん中にあるささやかな居場所を暮らしやすく工夫していた」

 このセシリア・サントスさんという女性は、あちこちの段ボールハウスを見て歩き、その整然としたインテリアに驚き、少なくない人達が「自分の城」を誇りを持って飾り立てているのに感心する。こういう住まいを肯定するのかといわれればなんともいえないけれども、みじめな場所におかれても人はさまざまに工夫をして、人間としての誇りを空間に表現しようとするのだということは記録されていいだろう、と彼女はいうのだ。そして「暮らしに必要な一切合切をかかえてどこへでも移動できる生き方は、むだの多い私たちの暮らしを見直すヒントになるかも知れない」と頑丈な近代建築の対局にある「もうひとつの建築文化」を見直そうとしている。

 私が以前、阪神大震災の被災者の生活を、災害に対応しうるソフトシティの原型であり、「もうひとつの町づくり」を示唆するものだと論じた時に、「お前は被害が軽かったからといって勝手なことを言うな」といわれたことがある。段ボールハウスにはすばらしいものがあると、この建築家のように言えば当然そうした批判も返ってくるに違いない。

 だがかつてフランクルが「強制収容所の中でさえ人間は自分たちの誇りを捨てず、与えられた限界の中で文化を生み出そうとすることをやめなかった」と書いたことに、これは通じている。

 彼ら“脱出者”たちは、ディオゲネスが樽に住んで哲学を説いたように、家のローンを支払い続けることだけが人生ではないのだということを身をもって教えてくれる教師たちでもある。■

*本稿はメールマガジン「Navigator」No.65(1999年3月20日号)より転 載いたしました。

 

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津村喬(つむら・たかし)
■プロフィール
 1948年東京生まれ、大津市在住。学生のころから評論活動を続け現在に至る。また1994年、NHK教育テレビ「気功専科2」で講師を務めるなど、気功や東洋医学・代替医学の普及につとめる。1996年より、メールマガジン『Navigator』を創刊、常任ライター兼編集主幹に。同誌で、高野孟とともに、政治、経済から環境、教育問題まで、幅広い分野で評論を展開。著書に『毎日できる東洋健康法』『気脈のエコロジー』『脳力トレーニングの方法』『メディアの作り方』『神戸難民日誌』『快脳気功』など多数。



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