★HABITAT:どうなる、どうする、日本の住まい(下)★

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No.050 どうなる、どうする、日本の住まい(下)
    〜住宅政策はどこにある? (01/26,2000) 「ハビタットEメール」スタッフ・川口晋

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▼持ち家志向のルーツを探る

 今の持ち家志向からはちょっと考えにくいことだが、戦前の日本人はほとんどが借家住まいだった。1934年(昭和9年)の調査によると、堺市では90%が、名古屋市では80%が、東京都の郊外でも7割以上が借家に住んでいた。

 どうして今のような日本人の持ち家志向がつくられたのか。以下、故宮脇檀氏のいくつかの本に書かれていることをまとめながら、その理由を書いてみる。第一に、戦中の住宅不足対策としてできた借地借家法がある。これは簡単に言うと悪徳な家主を取り締まり、賃借人が簡単に追い出されないようにするための法律だった。詳しくは省略するが結果的には、この法律によって家主は安い借家ではやっていけなくなって、家賃を高くして自衛するようになった。そして、それまでのような安い借家が消滅していった。

 第二に、戦後の政策がある。敗戦後の貧しい日本は、限られた金を石炭と鉄鋼につぎ込んだ。これは傾斜生産方式といって、まず国を立て直すためには第二次産業の立て直しからというのが政府の考えだった。しかし、鉄と石炭の生産も大事だが、もっと深刻なのは敗戦直後の住宅事情だった。当時は400万戸以上の家が不足していたが、これは、そのころの世帯数から割り出すとなんと4分の1近くの世帯に住む家がなかったことになる。国は石炭と鉄鋼に一生懸命で余力がない、家は国民自らが努力して建てなさい、ということで、あちこちでバラックでもいいからと、アナーキーに家が建てられていった。「国を豊にするためにはまずは産業の立て直し。産業がうまくいけば、あなたの会社も豊になり給料も上がる。その上がった給料で家を建てなさい」という論法で、戦後の持ち家政策は進められていった。

 戦後、戦勝国・敗戦国ともに相当なダメージを受けたヨーロッパの国々(英国、ドイツ、イタリアなど)では日本と異なり、国が住宅の供給に力を注いだ。英国では戦後すぐに公営住宅建設のための法律ができたが、当時の首相チャーチルは、人間の尊厳を守ってくれる住宅は国家がつくる必要があることを明言している。

 何が言いたいのかまとめよう。自分の家は自分で、という今は当たり前の考えは50年の歴史しかもっておらず、それまでは借家が当たり前だった。日本の国民は戦後の住宅政策のかけ声を真に受けてこの50年の間、人口の割に狭すぎる国土で必至に土地を探し、家を建て続けてきた、ということだ。

▼住宅政策は「百年の計」

 ここで問題なのは、今後もこの持ち家志向(と、そうさせる社会)が続くのか、あるいはこれを続けるのかということだ。その是非については置いておくとして、「誰だって自分の家を持つのがいいに決まってるじゃないか」という声を疑うことからはじめたい。別の選択肢だってあるのだ。日本の住宅事情を見直すためには、上記のような歴史的事実を認識し、そこから議論する必要があるのではないだろうか。

 前回私は、昨年の住宅減税は単なる景気対策と、言うまでもないことを書いた。そこで言いたかったことは、未だにこの経済大国ニッポンがまともな住宅政策を持ち得ていない、ということだ。まともな住宅政策といってもいろいろあるが、その条件を端的に言えば、それが「百年の計」と言えるものであること、と私は考える。よって、住宅減税などとうてい百年の計とは言えないから、これを住宅政策とすることを私は却下したい。

 建設省が気にするのは住宅着工数なのだが、98年度は15年ぶりに着工数が120万戸を割り込むことになった。そもそも、120万戸という数はどういう意味を持っているのか。数字だけの話なら、全国4000万世帯に対する3%だが、これが意味することは何なのか。多いのか、少ないのか。それまでの住宅ストックを考えるとどうなのか。こういうつっこんだ議論は、もちろん業界紙や経済誌などではされているのだろうが、マスコミで見かけることはほどんどなく、単に建設業界の成長率の話としてしか語られない。それだったら右肩上がりがいいに決まっているのだが、そのことと、住宅事情がよくなるのかどうかというのはまた別の問題だ。

 この意味で、「利用満足度」にフォーカスした昨年の建設白書は注目された。そこでは例えば、将来の人口減少で、必ずしも住宅事情がよくなるわけではないという指摘がなされている。その理由は----65歳以上の単身・夫婦の持ち家世帯の45%が延べ床面積100平米以上の住宅に住んでいる一方で、4人世帯の45%は100平米未満の住宅に住んでいる。このような状況は人口減少で解消できない、というものだ。そこで、質の充足を重視した社会資本整備が必要と説くのだが、どう質を充足して行くのか具体的な提言はなされていない。

 一つの考えとして、中古住宅を生かしていくというのがある。実際、建設省は、中古住宅の購入資金融資を新築並みにするなど融資制度を見直し、中古の質の向上やリフォーム産業の振興を目指すことを重点施策としている。しかし、これは一筋縄ではいかない問題だ。

 日本では、築30年の住宅ともなれば、建物の価格はほとんど評価にならず土地の値段だけとなる。売る方も買う方も、これをリフォームして30年住むことなど前提としていない。人々のそんな意識の改革も迫られることになる。業界では、そのようなトレンドをおさえて、100年住める家とか、リフォームがしやすい家を建てている。それも、大事だが、住む人の意識とか、不動産業界の建物に対する評価など、中古住宅に住むことが当たり前という合意が広く形成されて行かないと、制度面の改革だけでは中古市場は動かないだろう。

 欧米では、土地に加え、建物そのものの資産価値があるということで、土地の値段は別として、住宅は買ったときより高い値で売れることは何ら珍しいことではない。住む人もそれを見込んで大切に住まいを手入れをするし、それを評価する価値観も共有されている。使い捨て文化発祥の地、米国ですらそのような価値観が共有されている。よその国がそうだからというわけではなく、これだけ使い捨て文化の見直しが進んでいるのだから、住宅でその見直しがあっても当然だと考える。日本は米国の使い捨て文化をきっちりと学んで消費社会を育て上げてしまったが、住宅にまでこれを広げてしまったのではないか。だとしたら、これは根が深い病である。

 経企庁の試算によると、2050年には人口がいまより20%少ない1億人に減る一方で、一人あたりの国土面積が25%増えるという。日本の一人あたりの住宅面積はドイツやフランスより2割小さいのだが、これをもって経企庁は、住宅の更新投資をすれば日本の住宅面積は50年後には欧州並みになるとの予測を出した(1999年6月3日『日経』)。この予測は、上で触れた建設白書が指摘するミスマッチを考えると、とても乱暴で必ずしも正しくはない。しかし、何らかのかたちで確実に人口減の影響は住宅事情に反映される。まともな住宅政策が打ち出される前に、少子高齢社会の方が現実を変えることになりそうだ。■

 

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